6月定例議会 「ネット配信」

市長は総合計画で次世代に何を残すのか

皆様大変お疲れのところとは存じますが、私くしからも通告に従いまして一般質問を申し上げたいと存じます。

本日は平成19年6月21日でありますが、一昨年11月1日1市3町が合併してから、598日が過ぎています。時間の流れの速さに改めて驚くところであります。新市建設計画に基づきながら、この598日間、行政も議会も、そして市民の皆様方も一生懸命新生酒田市の一体化を推進するための努力を重ねてきたことは、お互いに評価するところであろうと考えます。これまでも何度も申し上げてきたような気がしますが、この598日の間に日本社会全体がギシギシと音をたてるほど金属疲労してしまった状況は、否定できないところであると認識しています。実際の金属は負荷に耐える限界点である、降伏点を越えると蘇生能力を失います。圧縮力に対しては、グニャット曲がってしまい建物を支える柱だとすればその建物は崩壊します。引張り力に対しては破断してしまいます。しかし、人間社会はそんなことになるわけにはいきません。金属疲労的状況にあるとすれば、能力の限界まで知恵と言う蘇生機能を発揮して、それを修整し能力回復を成し遂げなければならないことは言うまでもないことであります。

私達の住む酒田という社会が、少し金属疲労状態にあるとするならば、現在策定中の総合計画という蘇生機能を最大限活用して、多くの外的負荷条件がどんなに厳しくとも、一筋の光を見出し、次の世代に希望の持てる酒田をつくる責任が、阿部市長をトップに私達現在の責任世代に課せられた重大な任務であることを、まず一致した認識としたいものであります。

そこで、総合計画策定で酒田市を継承する次世代に何を残すのかと言う視点でいくつかの点についてお尋ねを致したいと存じます。

まず1点目は、合併酒田市の一体化から発展へとする具体的なグランドデザインの方向についてお伺い致します。

今回の総合計画の中で阿部市長は、次の世代に何を残す計画を策定しようと考えておられるのか、是非、率直なお考えをお聞きしたいと存じます。総合計画は市長一人で作るものではないことは十分承知をしているところでありますが、市長は行政のトップであると同時に、選挙で市民の付託を受け、市民の代表として酒田市づくりの舵取り役であること、そしてその付託を受ける際にいくつかの公約を示しているわけでありますので、そのことが繁栄されない総合計画はあり得ないものだと考えるところであります。また、現在策定中の総合計画は10年と言うスパンの計画である以上、社会全体の変化やその時々の状況で見直しせざるを得ないこともまた当然のこととしながらも、やはり策定の中心である現在の酒田市のトップ阿部市長の思いが次の世代にしっかりと継承される計画でなければならないと考えるのは、自然であろうと私は思っているところであります。

次に、施政方針にも掲げられた合併酒田市の一体化から発展へとする中で、総合計画で具体的なグランドデザインをどのように描いて、10年間でどのように発展させるのかについてお伺い致します。とくにここで言うグランドデザインは、旧1市3町がそれぞれ進めてきた面的整備の一体化から発展へという視点で捉えた場合、エリアごとの特徴を活かし発展させる考え方が、見えないと感じているところであります。

同じように土地利用構想に示す新市建設計画から引継ぐ「土地利用の基本的配置図」によれば、旧3町から旧酒田市に結ぶラインは現状でもある程度しっかりしたものになっていると考えられるのですが、旧3町エリアを結ぶラインが、それぞれ人口減少の中でどう強化され、発展していくのかが少し希薄なような気がしています。このことは、単に道路のアクセスと言うようなことではなく、市民の心の一体化という点で見ると、旧酒田市に対して旧3町それぞれが、個々に旧酒田市とは一体感を持ちつつあることは異論のないところでありますが、旧3町同士の一体感が果たしてどのような状況にあるかと考えると、少し疑問を感じるところであります。旧3町がお互いに必要とし合うための特徴的なグランドデザインが必要ではないかと考えるのですがいかがでしょうか。それらの政策が見えない計画では、旧酒田市が中央で、旧3町がそれぞれ個々の地方と言うような感覚から抜け出せないように思えてならないのであります。言い過ぎかも知れませんが、現状のそれぞれのエリアは、過去の全国一律の金太郎飴的街づくりの弊害によって、残念ながらあまり特徴の無い街同士になっているからではないかと思うところであります。

さらには、少子高齢化社会の中で集落を守れるかという点をグランドデザインの視点で、今回の総合計画でどのように表現されているかと言う点についてお伺い致します。行財政改革の視点で考えるならば、効率性を求めそれぞれの地域にある同様の機能は、出来る限り集約することが望ましいのは確かであります。しかし、集落に住み続ける市民がいる限り、生活に必要な公共交通整備などはむしろ強化する計画でなければならないと考えるところでありますが、いかがでしょうか。特に第1次原案では、本市から他県や中央にアクセスする高速交通網については、しっかりと論じられているのに、市民生活に目を向けたこれらの点について、希薄ではないかと感じているのですが、いかがでしょうか。

2点目は、分権社会の中で、住み続けられる酒田市をつくるための具体的施策についてお伺い致します。

長く住み続けられる酒田市にするために、若い世代が出て行かない酒田市独自の政策をもっと具体的に打ち出していかないと、3月議会で申し上げたように、酒田市の人口減少に歯止めが効かない状況になることを、強く懸念するところであります。あえて分権社会の中でと申し上げるのは、他と同じ政策・計画では、右肩上がりの時代と違って、より魅力あるものに成り得ないということであります。例えば、少子化対策などについて言うならば、これも以前申し上げたことがあるかも知れませんが、子育て支援は精神的支援と金銭的支援の両方を強力に打ち出すことで、他との差別化を図り、酒田で子育てをしたいと思っていただく画期的な計画をつくりあげることは考えられないのでしょうか。

また、美しい日本の原点であるはずの、私達が住む地方の中で特に格差の拡大している中山間地域や離島を守る施策をもっと明確に打ち出すことはできないのでしょうか。住み続けられる酒田市の基本は、中山間地域や離島に対してしっかりとした対策を講ずることだと、私は考えるのであります。

蛇足になりますが、去る5月14日、15日と東京で開催された地方自治経営学会研究大会に参加させて頂いたときに、石原信雄元官房副長官の講演を拝聴させて頂きました。皆様もご承知のとおり小泉内閣の時に、三位一体改革を進めた方であります。その石原氏が申すには、現在の中央と地方の格差拡大は、三位一体改革によってなされたことは事実であり、これを検証する必要がある、と述べられておりました。なんと勇気ある発言であるかと感じました。政治が進める政策がときに住民を苦しめることになることは、これまでも往々にして繰り返されてきたことを、私達は二度と繰り返さない姿勢を持つべきと考えるとき、阿部市長が3月議会の私の質問に明確にご答弁下さった、「弱者を切り捨てるというようなことが、あらゆる場面で許される社会が正しい社会だとは思わない。弱者と言うのは人だけではなく地域、企業、色々な場面があると思うが、そうしたことを含めてトータルでこの地域が幸せになるように努力したいという思いでいっぱいある」とした、中山間地域、離島に対する思いが、第1次原案ではあまりにも希薄なように思えてなりません。基本構想第3章、地域力が高いまち、第1節、「施策」の(2)中山間地域の振興及び(3)飛島の振興に示された内容もこれまでの計画の踏襲のような気がしますし、それを受けて展開するはずの基本計画であります「重点プロジェクト」の項に至っては、どう探しても中山間地域と離島という文字は、「地域元気プロジェクト」の項目の「推進の方向性」に現状課題めいた記述と、具体的事務事業の項目3に、「中山間地域、離島等への地域コミュニティ活動の充実」という事業名で「他地域との交流を拡大、活発にし、各種団体と連携しながら対応し、地域コミュニティを充実します」という概要が書かれているだけなのであります。これが果たして、本気で弱者を守る計画となっているのか、いささか疑問であります。くどいようですが、中山間地域や離島を守る施策を本気で総合計画に反映する考えがあるのかないのか、改めてお尋ねをしておきたいと思います。

3点目は、次世代が酒田市に誇りを持ち、夢を描ける教育のあり方についてお伺い致します。

次世代を担う子供たちが、酒田市に住み続けることを望むのは、家の存続のため後を継いで欲しいと願う親心と同じく、酒田市が存在し続けるためのもっとも基本的なことだと認識します。しかし、現代社会のグローバル化は、子供たちの生きる場所の選択にあまりにも大きな影響を及ぼしてきた気がします。反面、そう言う意味での教育を振り返るとき、生まれ育った故郷を愛し、そこに住み続けたいと願う子供たちを育てる教育は、どうであったのかを検証する必要があると考えるのであります。

大学進学や働く場の問題で住み続けたくても住み続けられない現状は、日本社会の大きな流れの中では如何ともしがたいことは確かです。しかし、本当に酒田に住み続けたいと思っている子供たちなのか、どうかを調査したデータはあるのでしょうか。職業の選択や生活維持確保のための働く場を論じる前に、まず、酒田市の全ての子供たちが、酒田市に住み続けたいと願う子供たちになってくれる教育をどう進めるのかをしっかりと論じ、その体系を構築する必要があると認識をするところでございます。

酒田をこよなく愛し、酒田に誇りを持って住み続ける子供たちを育てる教育は、どのような教育であるべきかについてご所見をお伺い致します。

また、私達が育った頃の教育と、現在の子供たちが育っている教育に大きな違いがあれば教えて頂きたいと存じます。あるいは、これまでの酒田市の総合計画で目指してきた教育と、現在策定中の総合計画で目指す教育に違いがあるとすればどのような点であるのかお示し頂きたいと存じます。

例えば、私が小中学生の頃は、春に修学旅行、秋に遠足がありました。修学旅行は、学年が進むにつれて山形、仙台、東京と遠距離になっていました。テレビがようやく普及し始めた、当時のような状況の中で、大都市に行くことは人格形成過程における見聞を広げる意味において重要なものであったことは言うまでもありません。一方、秋の遠足は歩いて自分の町や、隣町を肌で感じながら生まれ育った故郷を知る意味で、貴重な体験学習だったと思います。それらが更に貴重であるのは、大勢の仲間と一緒に経験するという点であろうと思うところであります。今の子供たちは、どのような修学旅行や遠足を体験しているのでしょうか。

故郷を愛する心を育む教育の原点は、故郷を自分の足で、あるいは肌で、多くの仲間と一緒に体験をとおして感じながら学ぶことではないかと思うところであります。お聞きをするまでもないこととは思いつつ、改めてこうした故郷を愛し、誇りを持つための教育が、現状どのような展開をされているのかお聞きをしておきたいと思います。例えば、私達酒田市民の心のより所である鳥海山に、私たちの時代は、中学3年生の夏に全員が登る授業がありました。もちろん親などはついていきませんでした。今の時代は、もし何かあったら誰が責任をとるのかという議論が先で、子供たちの故郷を知る権利や喜びを奪ってはいないのかと心配してしまうのであります。この度の総合計画策定において、酒田市に誇りを持ち、夢を描ける教育を構築することができるならば、酒田に住み続けるために自ら新しい仕事を起こすような子どもたちになってくれるのではないかと考えるのですが、いかがでしょうか。

新しいものがちりばめられていればいいというものではありませんが、子供たちを取巻く社会環境が急激に変化する中で、時代に即した教育はどうあるべきかを、しっかりと見極めるまたとないチャンスと考えるのであります。そうした意味では超少子化社会の教育のあり方を示す初めての総合計画ではないかと考え、可能な限り、教育においても分権社会の中で、独自性を発揮する計画であって欲しいと願うものであります。

以上、お尋ねいたしまして一問目を終わります。

2問目

1.何を残したいかについて(答弁を聞いて)

2.特に中山間地域と離島に関する計画について再確認
中山間地域と離島の振興についてもっと強力な施策として表現し、重点プロジェクトにも明確に位置づける考えはありませんか。

3.第7章明日を拓く交流のまち【交通基盤】第3節、施策の(2)市民交通の充実にある、デマンドタクシー等新たな交通システムの検討とある部分について、検討ではなく実施と表現する方向にはないのでしょうか。またその施策が重点プロジェクトになると表現がないのが気にかかるわけで、こうした施策こそ明記することによって中山間地域の不安解消になるのではないか。

4.少子化対策について、少し過激な発言になるかも知れませんが、例えば金銭的な支援策を考えるならば、年間1000人子供たちが生まれると仮定して、全てに支援金30万円助成する施策を打つと3億円必要です。それを生み出すのに、例えば1500人の特別職と一般職が居るとして計算すると年間20万円賃金ダウンすることで財源が生まれることになります。その20万円が600万円の年収として計算すると約3%に相当します。そういうことを発想する私はおかしいと考えますか。見解をお尋ねします。

5.子供達の故郷を愛する教育について
つい最近の日経新聞に面白い記事が掲載されていました。「進化のカギ、おばあちゃん」と言う記事です。アメリカユタ大学のクリスティン・ホーク教授による、繁殖できなくなった後のメスが長く生きることは、その生物の繁栄に有利な戦略になるとする、現状ではあくまで仮設であります。霊長類の中では唯一おばあちゃんが存在するのはヒトだけだと書いてありました。私は全く賛成の立場になったわけでありますが、例えばこのことを子供達の教育に、もっと明確に位置づけることはできないのでしょうか。実際には、おばあちゃんやおじいちゃんが居ない子供でも、例えば一週間に一度、おばあちゃんやおじいちゃんと一緒に勉強できる特別、酒田市独自の教育施策を作るとか。高齢社会をたくましく生きるお年寄りの皆さんから、子供たちに直接学校で指導する機会を作ることができれば、子供達の心を育てる手助けになるだけではなく、おばあちゃんやおじいちゃん達自身も元気になるとすれば、一石二鳥の施策になると思うのですが、ふざけた話でしかないでしょうか。

6.子供たちが毎日使う学校の机と椅子を、地元産杉材などを活用して製作し、地域の特性を活かしたぬくもりのある学校づくりは考えられないでしょうか。総合計画に入れるとすれば林業振興の部分と連動させることになると思うのですが。

7.関連で伺っておきたいのですが、少し前の山形新聞に、情報機器を活用した2015年の小学校像を文部科学省の調査検討委員会がまとめたとの記事であります。それによると、校門を通ると名札に埋め込んであるICタグで、出欠情報をデータベースに登録。情報は担任教師のパソコン画面に表示され、保護者にも登校確認メールが送信される。例えば図工の授業では、大型ハイビジョンモニターでルーブル美術館所蔵の「モナリザ」を鑑賞だそうです。こんな学校が果たして心の教育などできるのでしょうか。私には、人格をもつ子供を何だか商品のような扱いをするようで、全く納得がいかないのであります。今年が2007年ですから、2015年は8年後を想定していることになります。私の考えがIT社会についていけないだけかもしれませんが、校門を通る時、先生が「おはようございます」と生の声で迎える「心」を大切にした教育であって欲しいと願うのは、時代遅れなのでしょうか。参考までにお伺いしておきたいと思います。

以上2問目と致します。

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