帰路・再び山形へ

9時前に石巻市を出発して一路酒田への帰路となりました。山形道経由にて13時過ぎに無事、酒田に到着。

直ちに山形市に向けて、午前中通ってきた山形道を再び走ると言う忙しさです。2時間走り15時30分に、連合山形事務所に到着。お約束しておりました、大泉会長と齋藤事務局長にお会い申し上げ、県議選の推薦決定に対する御礼を申し上げさせて頂きました。

16時半、民主党山形県連事務所にて、陳情・要望対応委員会に出席。19日国会議員への仮報告と、24日の幹事長室報告に向け、多くの陳情・要望内容について検討を致しました。一つ一つの内容は、その立場にある方々にとって必死な願いであることは言うまでもありません。しかし、選択と集中もまた必要であることも言うまでもないところであります。18時半終了、2時間の帰路を走り、20時半過ぎ帰宅するとドット疲れが出てきました。

辻立ち・訃報・改革委員会・企業訪問

7時20分、しまむら交差点に辻立ち。この場所は今日で3回目になります。皆様方から頂く笑顔に感謝です。

9時半前、朝食を終え自宅を出ようとした時に、市役所職員の友人からの電話が鳴りました。次の瞬間、何が起きたのか一瞬訳がわからなくなり、体が固まって動けなくなってしまいました。それから確認の電話を何本かかけて、知らせは事実なのだとわかり呆然としたまま市役所に向かいました。大切な大切な2歳年上の兄のような先輩が自ら命を絶ったのです。

10時、議会改革特命委員会に出席。議会基本条例及び議員政治倫理条例に対するパブリックコメントに関するまとめなどで議論が行なわれました。今回は酒田市議会初めてのパブリックコメント実施でしたが、時間が少し短くならざるを得なかった点は反省しなければなりません。ご意見を下さいました皆様には、心より御礼申し上げます。

午後は、民主党躍進の集いパーティ券のお願い等で企業訪問をさせて頂きました。この厳しい経済状況の中で、ご協力賜わります皆様には、本当に頭が上がりません。ありがとうございます。

15時過ぎ、亡くなった先輩の枕元に線香を手向け、恥ずかしいことも忘れ、大きな声を出して泣いていました。来年ドイツにビールを飲みに行く約束をしていたのに、何がどうなったのか・・・・混乱し、取り乱し、それでもしなければならないことが山ほどあることに恨みを感じながら、さらに落ち込んだり・・・・

夕方西の雲間に太陽が顔を出しました
夕方西の雲間に太陽が顔を出しました

来客・来客・畑

8時、来客対応。1時間半ほどお話しをお聞きいたしました。と言うよりは、色々聞かれましたが正しいかもしれません。

10時、佐藤後援会長が訪ねて下さり、民主党3区総支部鈴木選対委員長からの指示事項についての進め方など、文書化したものを届けて下さいました。いよいよ来年の4月に向けて動き出しています。

14時半、お袋殿と二人で畑に収穫作業に向かいました。ネギ、大根、白菜、チンゲン菜、タイ菜、食用菊など等、大量に持ち帰りました。姉にも電話をしてとりに来てもらいました。作業終了の時は真っ暗になっていました。

頂いた庄内柿とても大きくて美しい
頂いた庄内柿とても大きくて美しい

辻立ち・経済常任委員協議会・会派・博物館

7時20分、南ジャスコ交差点に辻立ち。小学生登校隊の安全をサポートする保護者の方々に感謝のご挨拶から始まりました。今日は佐藤後援会長が応援に駆けつけて下さいました。早朝にわざわざ来てくださいましたこと、心から感謝申し上げます。

南ジャスコ交差点にて朝の辻立ち、通勤通学の皆さんにご挨拶
南ジャスコ交差点にて朝の辻立ち、通勤通学の皆さんにご挨拶

10時、経済常任委員協議会に出席。議案は、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に対する考え方、対応は慎重であるべきとの意志を、表明するように市長へ要望する件について意見交換を行ったものであります。要望書の表現の一部修正を行い決定の後、11時半には阿部市長に対して常任委員7名での要望書伝達を行ないました。私自身は微妙な立場ではありますが、農業を基盤とする地域の自治体議員と言う立場も踏まえ、反対とする要望でなく、あくまで慎重な対応を求めることは当然のことだと判断させて頂きました。

13時、議会内会派「市民の会」の皆様に対して、次期統一地方選に関する件で、民主党3区総支部選対委員長並びに我が後援会長から直接ご挨拶申し上げる会を開催して頂きました。既に周知のことでありながら、正式な形でのご報告が遅れてしまったことに陳謝を含めながら、ご支援を改めてお願いして頂いたところです。

15時、南平田小学校博物館運営委員会に出席。同校教育後援会が主宰する博物館の運営に関して、毎年1回開催しているものです。博物館の陳列状況を確認する中で、旧東陽小学校に寄贈された「イヌワシ」のはく製(1904年捕獲と説明あり)の痛みが気になったところです。少し急いで対策を考えなければとの意見を述べさせて頂きました。後半は、運営員会顧問でございます高橋昭七元平田町長のご講話を拝聴いたしました。昭和29年3村合併で誕生した旧平田町の今日までの歴史について、振り返りながらご指導賜わったものです。

葬儀・研修会・理事会・連合議員団会議

9時半、セレモニーホール最上にて、知人の父上のご葬儀に参列。昭和5年お生れで、私の父と同学年でございますので80歳のご逝去でございました。心からのご冥福をお祈りさせて頂きました。合掌。

11時半過ぎ、来週開催予定の酒田港重点港湾振興会議開催案内チラシを受取に平田牧場分室に立ち寄り、その後は八幡タウンセンターに向かいました。

13時、八幡タウンセンターにて開催の酒田ふれあい商工会工業部会主催研修会に出席。私の提案で「重点港湾指定が実現した酒田港の今後の振興について」のテーマで、酒田リサイクル産業センター加賀谷聡一社長を講師に迎えて講演会を開催したところです。旧3町地域が基盤の酒田ふれあい商工会にとって、酒田港の振興は縁遠いように思われがちですが、少なくとも経済団体であることを自覚するならば、今後の酒田港振興についての情報共有は、極めて重要だとの認識に立つべきであると強く思うところであります。静脈物流を基盤とした環境産業のあり方、港湾経営の民間化など未来の酒田港について貴重なお話をお聞きすることができました。

酒田ふれあい商工会工業部会研修会
酒田ふれあい商工会工業部会研修会

15時、同会場にて開催の酒田ふれあい商工会理事会に出席。会員の脱会、更正予算などについて審議が行なわれました。16時半過ぎ終了。

18時、勤労者福祉センターにて開催の連合酒田飽海地域協議会協力議員団会議に出席。労働者福祉協議会から酒田市に毎年出される要望書に加え、連合地協も今年から要望書を提出することになり、これらの内容について意見交換が行なわれました。19時半終了となり、その後懇親会となりました。

辻立ち・授賞式・山形へ

7時20分、国道7号線上安町交差点に辻立ち。11月1日に辻立ちを始めてから、先週は暴風雨に見舞われまして断念しましたので、この場所に立つのは初めてになります。強風に見舞われましてかなり厳しい寒さの中でしたが8時半まで頑張りました。一時帰宅し朝食。

11時、出羽遊心館にて開催の第32回庄内文化賞授賞式に出席。今年度の受賞者は、酒田市広野在住で「庄内出羽人形芝居の継承者、津盛柳弐郎氏」でございます。津盛氏(本名:齋藤均氏)は昭和49年津盛柳太郎氏に師事して、庄内出羽人形芝居に取組んで以来、国内はもとよりヨーロッパ各国、韓国など海外での公演にも取組み、平成4年には第1回クラーゲンフルト国際人形劇祭特別賞(オーストリア)、第3回マリボル夏の国際人形祭グランプリ(スロベニア)などに輝く日本を代表する伝統人形芝居の継承者でございます。受賞後のご挨拶では、永年のご苦労が脳裏を走馬灯のように巡ったのでございましょう、声を詰まらせながらのお言葉は、本当に感動を頂戴いたした所であります。今後もお体ご自愛頂きまして、一層のご活躍をお祈り申し上げます。

第32回庄内文化賞受賞者「出羽庄内人形芝居の津盛柳弐郎氏」
第32回庄内文化賞受賞者「出羽庄内人形芝居の津盛柳弐郎氏」

お昼は帰宅し昼食をとり、13時過ぎ山形市へ向けて出発。今日は一般国道経由でしたが順調に進み2時間強で到着。15時半に山形県建築士会事務局に立ち寄りました。新潟県中越地震のときに建物危険度判定ボランティア活動の報告書のコピーを頂くのが目的でした。

国道13号線尾花沢市通過は久しぶりで、高速道路山形中央道の工事が見えていました
国道13号線尾花沢市通過は久しぶりで、高速道路山形中央道の工事が見えていました

16時半、民主党山形県連事務所にて開催の「陳情・要望対応委員会」に出席。先週から毎週水曜日夕方開催が決まった委員会です。本日は8件の陳情・要望の処理について議論が行なわれました。また、今週土曜日に開催予定の直接面談での陳情・要望をお受けする政策推進会議の進め方などについても、最終確認させて頂きました。18時過ぎ終了で帰路につきました。途中、尾花沢市から新庄市の辺りで、ゲリラ豪雨的雨に見舞われましたが、庄内に入ると風は強いが雨はさほどでもなく、山形県も広いし、山脈で隔てられた気候の違いの著しさを改めて痛感しました。これから冬に入ると、積雪量がそのことを見事に表すことになります。20時半無事帰宅。

情報管理の大切さ

インターネットYouTubeに流れた尖閣諸島における中国漁船と海上保安庁との衝突に関するビデオ、「本物なのか」「一体誰が」「政府の対応は」「中国の反応は」と、国を揺るがすほどの大きな出来事が起きてしまいました。なぜこの時期に、誰が何を目的にこのような情報を垂れ流したのか、信じられない気持ちです。

同時にインターネット社会では、起こりうる情報漏えいなのだと言うことを、目の当たりにして、背筋に寒気が走る思いになったのは私だけではないと思います。真相が見えない現状での憶測は控えなければならないことは、言うまでもないことだと思います。しかし、国の外交や防衛に関わるこのような情報が、発信元を特定できないままに発信されることの恐ろしさ、時の政府を転覆しうるほどの事件に発展しかねない。私たちが生きている現代は、ある意味「情報管理」の隙間によって国の状況が一変するようなことが、起き得る社会なのだと教える事案としては、余りにも危険な事案ではないかと感じています。とにかくあらゆる手段をもって、真相の解明を急ぐことを政府に期待するしかないと思います。