何とも悲しい事件・事故が、なぜこうも絶え間なく起こるのだろうか。高校一年の女子生徒が「人を殺してみたかった」と、中学から同級生だった友人を殺害した理由だと言う。親が子どもを、子どもが親を、あるいは兄弟同士、仲間同士・・・いじめ、金目的、果てはゲーム感覚、小学生から高齢者までその動機や心の葛藤はわからないが、今の時代の日本人の心の闇があまりにも深まり、いったいどこまで歪み続けるのか、言い表しようのない虚無感に襲われてしまうのは、私だけではないと思う。
先頃、30年後の日本の人口問題を研究する日本創生会議が、20歳から39歳までの安定的人口再生産年齢にある女性の、地方から大都市への流出が終息しない場合、半減し消滅するであろうと予測される市町村が半分に達するとした発表を行った。
確かに人口減少が、未来の日本社会に与える負の影響が、極めて大きいことを否定はしない。しかし、仮に人口減少をスピードダウンさせる政策が功を奏して、予想を覆し大都市も地方も持続可能となったとしても、このまま「日本人の心」が失われて行くのだとすれば、むしろそのことの方が極めて重大な社会状況を作り出してしまうであろうと思う。
今朝、出張先のホテルで新聞を広げると、「政府小中校統廃合を推進~バス通学30分圏想定~年内にも新指針」と、地方紙の一面トップの見出し、さらに関連記事で3面に「財務と文科同床異夢~教員削減?上積み?」と追い打ちをかける見出しが躍る。
終戦から69年目の夏、子どもたちが荒れた時代は幾度となく繰り返されてきた。子供たちの心が荒れた時代背景を顧みるならば、そこには時の政治の思い上がりがあったと言わざるを得ない。現在の「日本人の心」の状況を思うにつけ、今の日本の政治状況の思いあがった状況を指摘せざるを得ない。平和を獲得するがために、戦後一貫して守ってきた集団的自衛権行使の否定を、時の内閣の解釈変更のみで、一変させる立憲主義を愚弄する政治、その思い上がりが人口減少の先に「日本人の心」の崩壊を生み出すことのほうが、私は怖い。