【12月定例議会 一般質問】

2003年12月9日15時10分開始

の杜温泉関連事業に、きっぱりと反対宣言

2003年もいよいよ師走の中盤に差し掛かり、1年を振り返りながら来るべき2004年が、これまでよりもさらにいい年でありますようにと願うのは、地球上に生きるすべての人間の一致した思いであろうと確信するところであります。この2003年という年は北朝鮮による拉致問題の高まる議論や、新型の肺炎SARSの脅威に始まり、3月20日には米・英軍によるイラク戦争開戦と言う最も残念で悲しい事態になり、世界中が重苦しさに包まれております。

一方、国内では、21世紀初となる4月の統一地方選挙や衆議院総選挙など、まことにあわただしい1年でありました。そうした中で、21世紀の我が国の初頭におけるまことに遺憾な歴史的事件、11月29日に発生した奥大使と井之上書記官のテロ行為による殺傷は、私自身、平和を求める一国民として、表現の方法が見つからない程の憤りと、今後のイラクあるいは世界情勢への不安で一杯であります。そして平和を求める国民の一人として、日本国の代表と言う立場で、常に毅然たる姿勢でイラク復興に尽くされましたご両名に心からの哀悼の意を表するものであります。
また、昨日12月8日は1941年のその日から数えて、62年目の太平洋戦争の開戦の日でありました。その後の歴史が明らかにしているとおり、当時の我が国の戦争への進攻は、まさに国として過ちを犯した事実として認識されているはずであります。
そうした二度と繰り返してはならない、苦い経験をした我が国は、戦争を放棄する平和憲法のもと、戦後復興を成し遂げ、現在では世界が認める経済大国、あるいは平和国家としての地位を、多くの先輩たちの地と汗がにじむ努力によりまして確立してこられたものと認識するところでございます。

しかしながら、こうした状況の中で我が日本政府は、人道・復興支援あるいは国際貢献という響きの良い言葉により自衛隊派遣を何が何でも実行しようとしています。まさに、その基本となる計画の閣議決定を本日行おうとしています
すでに行われたかも知れません。
私は、イラク特措法成立後に、刻々と変わるイラク情勢を見るとき、ましてや日本人犠牲者が出ると言う最悪の事態にありながら、それでも自衛隊派遣に固執する、小泉総理や日本政府の考え方には大いに不満であり、共に同じ時代を生きる日本人として「次の世代に世界の中の責任ある日本を渡す」覚悟と判断であるのか疑問であります。成熟した民主主義国家であるならば、一度決定したことであっても、情勢の変化や世論の声を正面から受け止め、原点に立ち返り議論を尽くすことがあってもしかるべきであると考えます。そうした点からも、ぜひ、我が平田町の代表である加藤町長の、このことに対するご所見をお伺いできればと思います。

私の一般質問の通告には記しておりませんでしたので、ルール違反なのかもしれませんが、質問の大きな趣旨であります「地方分権の時代に立ち向かう姿勢」の原点とも言うべき、恒久平和あるいは、私たちの子供・孫たちの世代における日本人の世界観であって欲しいと願う「人は皆地球人であるという認識」に立つならば、戦争を放棄した日本が
今たどろうとしている極めて危険な決断の時を、あるいは、自衛隊駐屯地を抱える山形県の地方政治家として、更には、自衛隊に我が子を送っている多くの町民を抱える町の町長として、どのように考え、判断されているのかを、お聞きしておきたいと思うからであります。

新聞やテレビを初めとする、あらゆるメディアが、賛否両論を伝える中で、特に目を引く反対コメントを堂々と発表している多くの地方政治家たち、例えば、昨日の山形新聞に紹介されている記事から上げてみると、米軍の巨大な駐留基地を抱える翁長雄志沖縄市長、派遣に一番近い駐屯地を抱える北海道札幌市の上田文雄市長、橋本大二郎高知県知事、田中康夫長野県知事、浅野史郎宮城県知事、上田清司埼玉県知事などなど、いずれの方も党派を超え地方分権の時代を真正面から受け止め、住民と共に知恵を絞りあいこの厳しい時代を、切り開いておられる方々のコメントであります。地方分権の時代に立ち向かう姿勢は、外交や国際情勢は地方の問題ではなく、国や政府だけの問題であろうとしてきた考え方ではなく、自らの考えを堂々と、地方から発信していくことではないかと思うのであります。

さて、そうした「地方分権の時代に立ち向かう姿勢」と言う視点に立ち、通告に従い本題の質問に入らせていただきます。

まず第1に、地方分権の確立をめざすときに、最も基本になることは、情報の徹底した公開にあると言われて久しくなりました。
先日、我が議会の小松原議長にお声をかけて頂き、政務調査の一つと捕らえ、東京で開催された「第8回清渓セミナー」という超党派の地方議員で運営されている勉強会に参加する機会を得ました。
その講座の中で「地方政治とマニフェスト」と題して講演頂いた、早稲田大学大学院教授で前三重県知事の北川正恭先生の提言、「情報公開」の時代から「情報共有」「情報共鳴」の時代に入ったとするお話しがありました。
国語辞典によると「共有」とは、同一物の所有権が二人以上に属することとあり、「共鳴」とは、発音体が外部から来た音波によって刺激され、同じ振動数で音を出す現象とあります。察するに、かつて閉じられていた行政の情報を、住民の申し出により公開する我が町の現状のような状況では、地方分権社会の多岐に渡る住民要求や急激な変化に対応しきれない時代を迎えたとする認識であり、本来行政の持つ情報は、発生した時点から、住民全てと所有権を同一にすること。また、発生した情報が音波だとするならば、その音波である情報に刺激され、同じ振動数、すなわち同じ時間・同じ位置に立って同じ事を考え、知恵を出し合い良い結果を生み出すと言う、極めて効率的で、成熟した民主主義の社会を形成できる手段だとする考え方であると思われました。
例えば、本定例会における議論と言う情報は、私達議員と町長を初めとする行政側、そして、本日お忙しい時期にもかかわらず傍聴席にお出で下さった皆様を初めとする町民の皆様によって、発生と同時に三者が共有・共鳴をしたことになると言う解釈を私なりにするところであります。しかしながら、実はこれらの情報は、閉鎖された議場の中にいる人達のみに共有・共鳴されたと考えるのが妥当であり、広く一般住民の方々を含むとは、言い難い訳であります。

そこで、例えば議会の議論という情報を一人でも多くの住民と共有・共鳴するには、どんな方法があり、どんな努力をすべきなのかを考えてみると、現在も実施されている広報紙の発行があります。しかし、残念ながら印刷物による場合は、活字の制限や時間のずれが生じることになります。近年、全国的にケーブルテレビやラジオ中継、あるいは、インターネットによる中継なども急速に普及しております。そこまで進化してないまでも、多くの市町村において、日曜・休日議会や一部には夜間開催などの方法で、より多くの住民の皆様に、一つでも多くのナマの情報を伝えようとする努力がなされています。
我が平田町において、ケーブルテレビやラジオ局解説はなかなか困難なことだとしても、今出来る事はないかと考えるとき、過去に町職員側から提案があったとお聞きしておりますが、議会の役場庁舎内放送であるとか、詳細な制約等を理解していない個人的発想でありますが、防災無線による放送であるとか、または、インターネットによる中継だとかは、莫大な予算を必要としなくても可能なことだと、私は考えるのであります。しからばなぜ今必要なのかと言う点については、
① 今後地方分権社会が成熟していく過程で、これまで国や県に任せておけばよかった議論があったとすれば、それ はこれからは通用しない時代になると言うことです。市町村・議会・住民が一丸となり、議論を尽くし知恵を出し合い、 自ら良い地域づくりを模索する以外に方法がないということです。
② 市町村合併というまさに直面する大きな課題に向かう時点が、そうした意味における出発点であると思うからであ ります。この合併がこれまでのように行政や議会、一部の住民の議論で進んでいくとしたら、その先に夢のある明る い町づくりは見えてこないと、大いに不安を抱いているからであります。
議会の情報発信に関わる点からすると本来、私達議会側の提案・判断により実現すべきことであろうとは思いますが、議会で議論されるほぼ全てが町長を頂点とする行政側の執行に関わる事件についてであることから、町長のご所見をお伺いいたしたいと思います。

次に、地方分権の時代に立ち向かう姿勢の二つ目として、「住民の目線で今、何が必要かを見極める姿勢と方策」という点についてであります。この件に関しては、去る6月定例議会の私の一般質問の中でも「加速度的に変化する現代社会の中で依然として計画ありきの考え方に固執する旧来型行政を改め、常に住民ニーズを的確に把握するシステムの構築が急務」だとする、考え方を述べた経過があります。あの時点では一般論として議論頂いたと記憶しておりますが、今回は、具体的事項の2点についてお伺いします。

1点は、現在掘削工事が進められている温泉施設に関してであります。結論から申し上げるならば、現在の国や県、そして我が町の財政や広域行政合併を見据えた情勢などから判断して、本事業を予定通り進めることについて、私は反対という立場を取らざるを得ないと言うことであります。
町民の皆様の健康増進・高齢社会の中でお年寄りの皆様の生きがいづくりという点からすれば、より近くにこうした施設が存在することは、歓迎されるべき事業であるのかも知れません。しかしながら、あえて反対意見を述べる大きな理由は、
① 日本経済全体が危機的状況にある中、莫大な公共投資による温泉が、最終的には町債という借金を拡大するこ  とになります。また、仮に施設が出来上がるとしても、荘内総研の調査によるところの、集客が継続的に見込めると する確固たるデータはないわけで、現時点においては、希望的観測以外に住民に対する説明責任を果たすための、 データを示すことが出来ない点であります。
② この種の施設が全国的に見ても成功しているところより、大きな赤字を抱えて疾駆八苦しているところの方が多い という点であります。庄内の各市町村においても黒字の施設が1~2箇所しかないときいております。
③ 仮に現在進んでいる庄内北部地域合併協議会によるとこの、1市4町が合併すると仮定したときに、合併と同時に同一市に属することになる現在の各市町村に存在するほぼ同様な形態の公的温泉施設が、民間経営の同様施設も含め、人口減少の中で熾烈な競争を迫られることになります。結果、経営不振なところから、切り捨てざるを得ない事態になることは否定できません。現在の町の考え方の中にある、低いとはいえ山道の雪による危険回避の施策としてバス運行までサービスする考えがあるのであれば、その部分だけ来年度から予算化し、バス運行を実施して、八幡町や遊佐町・松山町の施設を積極的に利用拡大し、合併後の新市に貢献することとして制度化することも一つの案ではないかと考えるのであります。
今述べたことは、全て石黒覚の私見であります。しからば、この温泉施設整備にかかる住民の皆様の現在の意識はどうなっているのか。計画されたのは、バブル経済に沸く時代であったように記憶しているが、その後現在進んでいる第4時総合計画策定時にどのような形で住民意識を把握したのか。また、現在の社会情勢は総合計画時点とも、まったく異にした状況であることからすれば、来年度予算編成の前に、全町民対象のアンケート調査等を実施すべきと考えるが、町長のご所見をお伺いします。

2点目は、先穂も少し触れましたが「合併議論を住民レベルで展開する必要性」についてであります。合併に関しましては、既に3人の先輩議員からも、ご質問があり、さらに明日も何人かの先輩議員が質問されるよていでありますので、重複する点については、ご容赦を願いたいと思います。
まず、合併論議に対する現在の住民の多くの皆様の意識は、全く盛り上がっていないものだと認識しております。逆な見方をするならば、そうした状況を作り出した原因の一つに、前段述べさせていただきました、行政側の情報開示に対する基本的考え方の相違があるように思われてなりません。確かに、多くの方たちによって語られるところの、夢のある合併を論じることの大切さも理解できます。しかし、国が発した、この度の広域行政合併推進の理由を現実的に直視するならば、国、地方を含む財政破綻であることは、明白であります。よって、民間であろうと、行政であろうと、立ち行かなくなった経営体を改善するときに、夢物語を論議することなどあり得ないはずであります。しかし、これまで住民皆様に伝えられた情報は、果たしてどのようなものであったのでしょうか。
我が町における住民サービスは、他の市町村に比べると自他共に認めるほどの手厚いものがあります。例えば、教育関係を見ると、
①子供たち一人当たりの教育予算額
②無利子の育英資金制度
③中学生の海外派遣事業
④小学生の岐阜平田町との交流事業
⑤各学校の裁量で執行できるスクールフロンティア事業
⑥スクールバス運行の柔軟性
⑦スポ少や部活動における選手派遣等への助成 などなど

福祉や生活環境整備についても
①保育費の現行水準
②老人クラブ等の運営にかかる助成制度や柔軟な対応
③中央公民館を中心にした地区公民館制度や集落集会施設設置助成
④農業集落排水の整備や合併浄化槽設置制度
⑤きめ細かな除雪体制 などなど 上げればきりがないほどです。

一口で言うならば、大変恵まれた行政サービスの中で生活できる町だといえるはずです。
しかし、国が決定した最低の自治体人口規模により、権限の委譲であるとか、地方交付税の抜本的改革により、財政の見通しがたたない近い将来を、合併という手段で切り抜けるしかないのだとしたら、痛みのない合併などあり得ないのではないかと考えるのであります。そうは言うものの、痛みだらけの合併で我慢するしかないかとなれば、そうではないはずである。
そこでまずは、住民の皆様に悪くなるところ、あるいは悪くなるであろうところについても、情報の共有、共鳴という立場に立って、どんどん伝えて行く時期ではないのでしょうか。そうしないと時間だけが過ぎていき、気がついた時にはタイムリミット、何も決まっていない、住民皆様の本音の意識も把握できずに滑り込むような議決をせざるを得ない状況になることを、心から危惧するものであります。
先日の100人委員会の席でも余計な発言を申し上げたかも知れませんが、これまで努力されてきました地区座談会の開催や100人委員会の⑤論が深まっていない事実を率直に見据えて、前向きに今後の対策を講じる時期だと考えます。そのためにはやはりまず必要なのは、住民意識の把握であろうと思います。合併そのものの賛否や枠組みの賛否をも含めた住民アンケート調査の必要性をどのように考えておられるか町長のご所見を伺います。
私は、ここ1~2ヶ月が、そうした対応が出来る時期としては最後のチャンスであると感じております。ちなみに庄内中央合併協議会を進めている余目町においては、今年度2回の住民アンケートを実施したとお聞きしております。
また、100人委員会の議論を深めていただく方策として先日も申し上げたのですが、言葉ではよく耳にする1600項目に渡る事務事業のすり合せに関する膨大な内容については、結局のところ住民サービスにおける最も身近な部分であると思うことからすると、各分科会のテーマ毎に全項目とは言わないまでも資料として提示し、ワーキンググループによる議論の過程が一目で把握できるような、終わったところには○、まだ進んでないところには△、我が町で言いとされてきたところがなくなるところには×、こういう記入による表形式の資料を作成することは出来ないもの方考えております。いかがでしょうか。私自身、どのような事務事業のスリ合わせをされているのかまったくと言っていいほど認知していません。誠に恥ずかしい限りであります。

最後に、タウンセンターを拠点にした我が町の「心の時代確立へ」という視点からお尋ねをいたします。

地方分権とは、何も行財政だけに限ったことではないはずであります。住民の文化活動やボランティア活動など様々な分野においても大いに進められるべきと考えるのであります。タウンセンターの建築物としてのすばらしさは「日本建築学会賞」という名誉ある受賞により証明されたわけでありますが、その全国に誇れる器の中で、全国に発信できるような文化活動やボランティア活動をどのように構築していくのか、現時点での考え、あるいは計画等があればお聞かせいただきたいと思います。
9月定例会の決算審議において図書センターの利用状況についてはお尋ねいたしておりますので、ここでは特にシアターOZに関してお伺いいたします。
当施設は言うまでもありませんが200席の固定席ホールであるわけです。その特徴からすると林家喜久蔵師匠の言葉を借りれば「落語家にとって最後列に座っているお客様の顔の表情が分かるすばらしいホールだ」ということでありました。しかしながら一方では、少人数あるがゆえの短所もあります。例えば、子供たちの情操教育や住民に皆様の文化的欲求にこたえるために一流の能や狂言、歌舞伎などの公演や世界的に活躍する音楽アーティストのコンサート、あるいはスポーツ界で活躍する選手など生の声による講演会などを企画する団体があったとしても、入場券収入だけでは金銭的にペイ出来ることは不可能な座席数であると思うのであります。仮に公演料が200万円の企画をするとなれば、入場料は単純に1人1万円なければペイしないわけであります。この1万円という金額は相場とはかけ離れた金額だと思います。だからといってあきらめては何も出来ないことになります。そこで、こうした文化活動に学校教育あるいは生涯学習の重要性の原点に立ち、町の予算による新たな助成制度を設ける考えはないか、についてもお尋ねをしておきたいと思います。

《答弁及び再質問以下省略》

【16時08分 終了】